ノコッチの哲学マップ

哲学に興味のある女子高生「怜奈」と普通の男子高校生「不破(あだ名はノコッチ)」が哲学について対談します

ソクラテスからプラトン、アリストテレスへ【その1】

ゆるふわ先生「今回はなにやるの」

 

ばじるちゃん「予告していた通りプラトン……ではなく。その1つ手前のソクラテスから入ることにするわ」

 

ゆるふわ先生「出た、ソクラテス

 

ばじるちゃん「倫理政経でやったもんね。ところで、今回はダイレクトに思想を紹介するんじゃなくて、ちょっと変わったやり方を取ろうと思うの」

 

ゆるふわ先生「ちょっと変わったやり方とは」

 

ばじるちゃん「私たち自身がソクラテスになることよ」

 

ゆるふわ先生「は?」

 

ばじるちゃん「ソクラテスが実際に行ったらしい議論について、原稿を用意してきたわ。私なりに大分改変したけれどね。今からこれを朗読するのよ、一緒に」

 

ゆるふわ先生「マジかよ」

 

ばじるちゃん「文句は受け付けません。ソクラテスに関する書物は実際に言葉にするのが一番面白いんだから。ちなみにノコッチは論駁される役目ね」

 

ゆるふわ先生「……はいはい。論駁されますよ」

 

ばじるちゃん「棒読みしたら怒るからね」

 

ゆるふわ先生「蹴られないよう善処シマス」

 

 

 

ゆるふわ先生「というわけでだ、ばじるちゃん君。何か聞きたいことがあれば、なんでも答えてみせるのだが」

 

ばじるちゃん「ええ、是非お願いします。私も当代一と誉れ高いノコッチさんに質問できることを嬉しく思っています」

 

ゆるふわ先生「殊勝な心がけだね」

 

ばじるちゃん「ですがその前に一つだけ。これから私がする質問に対しては、なるべく短く答えていただきたいと思うのです」

 

ゆるふわ先生「お安い御用だ。同じことを言うのに私より短く答えれる人など、誰もいないだろうからね」

 

ばじるちゃん「ありがとうございます。では早速質問なのですが、あなたはどういったことをしておられるのですか?というのもですね、例えば、漁師なら魚を獲るといったことをするでしょう」

 

ゆるふわ先生「するね」

 

ばじるちゃん「同じように、作家は本を書くことをするでしょう」

 

ゆるふわ先生「する」

 

ばじるちゃん「これと同じように答えていただきたいのです。ノコッチさんは一体どういったことをしておられるのですか?」

 

ゆるふわ先生「弁論家だ。それも、優れた弁論家なのだよ、ばじるちゃん君」

 

ばじるちゃん「弁論家ですか。ということは、弁論をするのですか?」

 

ゆるふわ先生「そうだ」

 

ばじるちゃん「なるほど。ところで、漁師は魚を獲るとき、まさに漁に関する技術を必要としますね?」

 

ゆるふわ先生「するね」

 

ばじるちゃん「医学は、医に関する技術を必要とします」

 

ゆるふわ先生「必要だとも」

 

ばじるちゃん「では、弁論家はこれと同じように、弁論にかんする技術を必要とするでしょう」

 

ゆるふわ先生「当然、必要だ」

 

ばじるちゃん「そこでお尋ねしたいのですが、弁論術というのは、いったい何に関する技術なのでしょう?」

 

ゆるふわ先生「どういう意味かね」

 

ばじるちゃん「例えば、医術というのは体を治したりといった、医療に関する技術ですね」

 

ゆるふわ先生「そうだ」

 

ばじるちゃん「また、体育術というのは体を動かす、運動に関する技術です」

 

ゆるふわ先生「犬に誓って、その通りだ」

 

ばじるちゃん「ではこの調子でいくと、弁論術というのは何に関する技術なのでしょう」

 

ゆるふわ先生「言論に関する技術だよ、ばじるちゃん君」

 

ばじるちゃん「ふむ。いえ、ありがとうございます。どうかこの調子で、残りの質問にも短く答えてください」

 

ゆるふわ先生「任せておきたまえ」

 

ばじるちゃん「さて、今の回答で、ノコッチさんが言論に関する技術を教えているということが明らかになりました」

 

ゆるふわ先生「明らかになったね」

 

ばじるちゃん「ですが、私にはまだ疑問に思えるのです」

 

ゆるふわ先生「何が疑問なのかね、ばじるちゃん君」

 

ばじるちゃん「というのもですね。弁論術が教えるその”言論”というのが一体なんなのか、私にはまだ掴めないのですよ――例えば、数学は数に関する言論と言えますよね」

 

ゆるふわ先生「言える」

 

ばじるちゃん「料理だって、見方によっては食べ物に関する言論と言えると思うのです」

 

ゆるふわ先生「確かに」

 

ばじるちゃん「だとすれば、弁論術の”言論”とは、いったい何に関する言論なんでしょうか」

 

ゆるふわ先生「簡単なことだ。一番重要で、一番善いものに関する言論だよ」

 

ばじるちゃん「一番重要で、一番善いものですか……」

 

ゆるふわ先生「その通りだ」

 

ばじるちゃん「ですが、一番重要で一番善いものというのは、他の弁論家の方々もおっしゃる通り、人それぞれではないでしょうか」

 

ゆるふわ先生「ほう?」

 

ばじるちゃん「簡単な思考実験をしてみましょう。ビル・ゲイツオバマ大統領、クルーグマンがいたとします」

 

ゆるふわ先生「タイムリーな例だね。ここは古代ギリシャなのだがね」

 

ばじるちゃん「この3人はそれぞれが、自分のしていることを最善だと信じているように思えるのです。ビル・ゲイツMicrosoftを最高の業績と確信しているでしょうし、オバマ大統領は黒人が大統領になったことを一番重要だと感じるかもしれません」

 

ゆるふわ先生「ふむ」

 

ばじるちゃん「クルーグマンは経済学の発展が一番善いことだと思っているかも。経済学を上手く使えば、困窮にあえぐ人々の多くを救えますから」

 

ゆるふわ先生「かもしれないね」

 

ばじるちゃん「となると、一番重要で一番善いものというのは、人によって変わってくることになりますが、それに関してはどうでしょうか」

 

ゆるふわ先生「確かに君の質問は最もだ。その上で、私もこう言わせてもらおう。弁論術がどんな言論に関するかと言えばね。それは、ほんとうの意味で最大の善いものなのだよ」

 

ばじるちゃん「えっと、それは――」

 

ゆるふわ先生「つまりはこういうことだ。人は弁論術を学ぶことによって、自分に自由をもたらし、また同時に、他人を支配できるようになるのだよ」

 

ばじるちゃん「……ノコッチさん、私の理解が正しければ、弁論術とは『説得する』ことに関する技術……ということなのでしょうか」

 

ゆるふわ先生「まさにその通りだよ、ばじるちゃん君。君は本当に正しく理解してくれるね。弁論術によって、法廷では陪審員を、議会では議員を、またその他、どんな集会でも人々を『説得する』ことができるのだよ」

 

ばじるちゃん「ありがとうございます。しかし、この場合でもやはり、私の中のわだかまりは残ったままなのです」

 

ゆるふわ先生「なんだね。言ってみたまえ」

 

ばじるちゃん「というのもですね。この『説得する』というのは、先程の”言論”という回答の上塗りに思えてならないのです。数学は数に関して『説得する』し、経済学は経済に関して『説得する』……そうじゃありませんか?」

 

ゆるふわ先生「なるほど」

 

ばじるちゃん「こうなるとまた、弁論術は一体何を『説得する』のか、ということになるのです」

 

ゆるふわ先生「そう疑問に思うのも当然だろう。よろしい、よく聞いておきたまえ。弁論術は正しいこと、あるいは不正なことに関して人々を説得するのだよ」

 

ばじるちゃん「……それは、弁論家が正しいこと、不正なことを知っているから?」

 

ゆるふわ先生「そういうことだ。しかし、補足しておかなければなるまい。この正しいこと、不正なことというのは、具体的な知識を指しているわけではないのだ」

 

ばじるちゃん「というと?」

 

ゆるふわ先生「例えば、私の前に医者がいたとしよう。彼は確かに、私よりも医学について多くの知識を持っている」

 

ばじるちゃん「ふむ」

 

ゆるふわ先生「しかし、人々にどちらが『良い医者』かを信じ込ませるとなれば、ゼウスに誓ってもいいが、私に軍配が上がるだろうね」

 

ばじるちゃん「それは、他には大工や料理の場合でも……」

 

ゆるふわ先生「同じことだ。いいかね、弁論術とはそういった『説得する』技術のことなのだよ。言ってみれば、ありとあらゆる力を一手に収めて、自分の下に従えているのだけれどもね。つまり『説得する』技術を使うことで、医者であれ実業家であれ政治家であれ――全ての者を意のままに操ることが出来るのだ」

 

ばじるちゃん「それはなんとも、恐ろしい力のように感じられます」

 

ゆるふわ先生「もっとも、弁論術を扱う際は注意しなければならない。いくら『説得する』技術があるからといって、それを使って味方を貶めてはならない。また、弁論を使って悪さをした者がいたとしても、それは使った当人が悪いのであって、教えた側や弁論術自体が悪いということにはならないのだ。丁度、ナイフで人を殺しても、ナイフを売った店やナイフ自体に責任が問われないのと同じようにね」

 

ばじるちゃん「なるほど……。ところで、ノコッチさんは学んでいる状態があることを認めますか?というのは、新しく知識を得たような場合です」

 

ゆるふわ先生「認める」

 

ばじるちゃん「同時に、信じている状態があることは」

 

ゆるふわ先生「それも認めよう」

 

ばじるちゃん「この2つは同じものでしょうか」

 

ゆるふわ先生「私には別のものに見えるね」

 

ばじるちゃん「ということは、『説得する』技術には、学ばせること、信じさせることの2つがあると言えそうです」

 

ゆるふわ先生「確かに」

 

ばじるちゃん「となると、弁論術の『説得する』技術はどちらの性質を有していることになるのでしょうか」

 

ゆるふわ先生「それは、信じ込ませる方だろう」

 

ばじるちゃん「私もそうだと思います。では、弁論術が正しいこと、あるいは不正なことを『説得する』技術であるということを踏まえれば、弁論術は正しいこと、あるいは不正なことに関して、相手を信じ込ませるということになりますね」

 

 ゆるふわ先生「どうしてもそうなるね」

 

ばじるちゃん「そしてそれは、具体的な知識があるわけではない」

 

ゆるふわ先生「そうだ。しかし、それはそれで便利だと言えるのではないかね。弁論に関する具体的な技術さえあれば、他のあらゆる専門家を凌駕できるのだから」

 

ばじるちゃん「いえ、私がどうにも疑問に感じているのはですね。弁論は医学や数学に関しても同じように、正しいこと、不正なことを『説得する』のか……つまり、弁論術を使う人たち自身は、正しいこと、不正なことについて知っているのかという点なのです」

 

ゆるふわ先生「もしも弁論術を学びに来る人々が正しいこと、不正なことを知らないのであれば、勿論それは私の方から教えることになるだろう」

 

ばじるちゃん「これはいいことを言ってくださいました。それでは、弁論術を教える方は、正しいこと、不正なことについて知っているのですね?何故なら、知らない場合であったとしても、あなた方から教わることになるのですから」

 

ゆるふわ先生「そうだとも」

 

ばじるちゃん「では、どうでしょう。音楽のことを学んだ者は、音楽家になるのではありませんか?」

 

ゆるふわ先生「なるね」

 

ばじるちゃん「野球を学んだ者は、野球選手になる」

 

ゆるふわ先生「なるだろう」

 

ばじるちゃん「だとしたら同じ理屈で、正しいことを学んだ者は、正しい人になるのではありませんか」

 

ゆるふわ先生「それはどうしても、そうなるだろうね」

 

ばじるちゃん「ところで、正しい人は正しいことを行うでしょうし、不正なことを行うのは望まないでしょう」

 

ゆるふわ先生「そうだね」

 

ばじるちゃん「そうなると必然的に、弁論の心得がある者は正しい人だし、したがって正しいことを行うのではありませんか?」

 

ゆるふわ先生「その通りだ」

 

ばじるちゃん「だとすると、弁論家はどんな場合であっても、不正を行うのは望まないでしょう」

 

ゆるふわ先生「それは必ずそうだ」

 

ばじるちゃん「しかしながら先程、こういうことが言われたのではありませんか?弁論が不正な仕方で使われたとしても、それは不正に弁論を使った者が悪いのであって、弁論術自体が悪いのではないと」

 

ゆるふわ先生「そう言われたね」

 

ばじるちゃん「ですが今、弁論家は決して不正を行わないということが明らかになりました」

 

ゆるふわ先生「明らかになったね」

 

ばじるちゃん「加えて最初の話では、弁論術は言論に関する技術であるが、それは正と不正について『説得する』ような言論だと言われていました」

 

ゆるふわ先生「そうだった」

 

ばじるちゃん「私は、弁論家は正しいことを知っているが故に、決して不正をしないと思っていたのです。しかし後になって、弁論家が不正をすることもあると言われたものですから戸惑ってしまって。この矛盾は一体どうしたことでしょうか。弁論家が弁論術を不正に使用するのは不可能なはずです。これについてもっと調べてみたいのですが、真相がどうなるかについては、ノコッチさん、到底少しの対談では片付かなさそうですね」

 

 

 

ゆるふわ先生「確かに言葉にした方が臨場感あった」

 

ばじるちゃん「でしょ?ちなみにこれは『ゴルギアス』って本の一部を、さらに圧縮したものよ」

 

ゆるふわ先生「『ゴルギアス』もこんな感じなの?哲学書ってもっと難しいと思ったけど、これなら僕でも読めそう」

 

ばじるちゃん「プラトン対話編は全部こんな感じの対話形式だから、ノコッチでも読みやすいと思うわ。『国家』なんかだと流石に難しいかもしれないけれど」

 

ゆるふわ先生「プラトン対話編?ソクラテスじゃなくて?」

 

ばじるちゃん「ああ、説明してなかったわね。ソクラテス自身は一切著作を残していないの。弟子のプラトンが『俺の師匠こんなこと言ってたぜ』っていうのを書物にしたのよ」

 

ゆるふわ先生「なるほど」

 

ばじるちゃん「ちなみにノコッチさんはゴルギアス役」

 

ゆるふわ先生「そうだったのかw」

 

ばじるちゃん「補足しておくと『ゴルギアス』では、この後も興味深いテーマで議論が交わされていくわ。『不正を犯して罰を受けたものと受けなかったものでは、罰を受けなかったものの方が不幸である』だとか、『いい年になってもずっと哲学にかまけてるような奴は、ぶん殴ってやらなければならない』とかね」

 

ゆるふわ先生「ぶん殴ってやらなければならないwww 面白そうだなあ。今度買っとこう」

 

ばじるちゃん「遂にノコッチも哲学書デビューか……さて、少し『ゴルギアス』に偏り過ぎたから、ソクラテス自身に関する話もしておこうと思うわ。【無知の知】についてね」

 

ゆるふわ先生「お、出た。無知の知だ」

 

ばじるちゃん「そもそもソクラテスがこうやってゴルギアスのような弁論家たちと問答をするようになったのは、【デルフォイ神託】を受けたからだと言われているの」

 

ゆるふわ先生「神託って聞くとまた胡散臭いな」

 

ばじるちゃん「”幸福の科学”の大川隆法も神の啓示を受けたらしいしね……ってそんなのはどうでもよくて。そこで受けたのは『ソクラテス以上の賢人はいない』ってものだったんだけれど」

 

ゆるふわ先生「そんなバカな」

 

ばじるちゃん「バカだと思うでしょ。ソクラテス自身もそう思った。だから色んな人と対話をして、神託の真偽を確かめようとしたの」

 

ゆるふわ先生「どうなったんだ。一番賢いっていうのが分かったの?」

 

ばじるちゃん「さっきの議論みたいなことになったのよ。ノコッチさんは結局、弁論術が何かについてちゃんと答えられなかったでしょう?」

 

ゆるふわ先生「そうかな。それっぽいことは言ってたと思うけど……」

 

ばじるちゃん「その『それっぽい』が曲者なのよ。ソクラテスは弁論術の他にも『正しいとは何か』『勇気とは何か』について議論を重ねていった。でも皆『それっぽい』答えばかりで、核心になる『それが何か』については答えることが出来なかった」

 

ゆるふわ先生「ふむ」

 

ばじるちゃん「世の中で賢いとされてる人たちは皆、それが何であるかについて正しい知識を持っていないのに、知っているものとして使ってる。ソクラテスだけが違ったの。彼は『正しいとは何か』『勇気とは何か』について、自分が『無知であることを知っている』と言った」

 

ゆるふわ先生「それで無知の知か」

 

ばじるちゃん「そう。結局ソクラテスは議論を重ねていくうちに、多くの人から嫌われて処刑されてしまうんだけれど。このときの裁判の様子は『ソクラテスの弁明』で克明に記されてるわ」

 

ゆるふわ先生「死んでしまうのか」

 

ばじるちゃん「獄屋で弟子たちに脱出を勧められるも、【悪法もまた法である】といって死刑を受け入れた話は余りにも有名ね」

 

ゆるふわ先生「貫徹した人だなぁ」

 

ばじるちゃん「でもその思想はプラトン以降に受け継がれていくし、何より知(ソフィア)を愛(フィロ)する……哲学(フィロソフィー)はソクラテスが初めに言った言葉なのよ」

 

ゆるふわ先生「え、ソクラテスってそんなに凄かったの」

 

ばじるちゃん「凄かったの。まあ私には、捻くれ者の爺さんにしか見えないんだけれど……」

 

ゆるふわ先生「おい消されるぞ」

 

ばじるちゃん「そりゃあ、確かにソクラテスは議論で負けなしだったよ?でも、そのスタンスがどうにも『セコいなあ』と思わされるのよね」

 

ゆるふわ先生「なんでさ」

 

ばじるちゃん「だって彼は『自分は無知である』って立場から議論をしてたから。自分は無知なんだから、これ以上貶められることはないでしょう?」

 

ゆるふわ先生「あー……確かに」

 

ばじるちゃん「逆に『知っている』って立場の相手には徹底的に攻撃することが出来る。1つでも知らないことがあれば、或いは『決定的には分かっていない』ことがあれば、そこから矛盾した回答を導けるし」

 

ゆるふわ先生「知っているはずなのに知らないって矛盾か」

 

ばじるちゃん「そう。でもこの話は一旦おしまいね。また長くなっちゃったから……。次はプラトンを見ていきましょう」