フレーゲからラッセル、ヴィトゲンシュタインへ【その3】
- 作者: ウィトゲンシュタイン,野矢茂樹
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/08/20
- メディア: 文庫
- 購入: 29人 クリック: 278回
- この商品を含むブログ (201件) を見る
ゆるふわ先生「いよいよ哲学の話になるのか」
ばじるちゃん「ヴィトゲンシュタイン。ノーベル賞受賞者であるラッセルをして『ケンブリッジ始まって以来の偉業を成し遂げた』と言わしめた哲学者」
ゆるふわ先生「ほほう」
ばじるちゃん「20世紀にはフロイト、ニーチェ、ハイデガーの【思想の三統領】を始めとして数多くの偉大な哲学者が生まれたけど、その中でも間違いなく5指に入るでしょうね」
ゆるふわ先生「おお、なんか凄い人っぽい」
ばじるちゃん「アダルトゲーム『素晴らしき日々』はヴィトゲンシュタインの著書『論理哲学論考』を題材にしたゲームとしても知られてるわ」
ゆるふわ先生「いきなり凄くなくなった気がする」
ばじるちゃん「それだけ人気ってことよ。『素晴らしき日々』だってとても評価の高いゲームらしいし、ノコッチが18歳になったらやってみるのも悪くないんじゃない?」
ゆるふわ先生「……女子が男子にエロゲー薦めるのってどうなんだ」
ばじるちゃん「まあそんな彼なんだけれど、提唱した哲学はスマートで怜悧で、これまでのあらゆる哲学的問題を根底から覆すものだった」
ゆるふわ先生「いきなり破天荒だな。ぶっ壊したのか」
ばじるちゃん「熱したナイフでバターを切るみたいにね。『語り得ぬものについては、沈黙しなければならない』は『論理哲学論考』での余りに有名な1節よ」
ゆるふわ先生「格好いい言い回しだ。ブリーチのポエムみたい。語り得ないものが何かとかは分からないけど」
ばじるちゃん「(そこでブリーチ持ってくるんだ……)格好よく見えるだけで、まだ文自体はふわっとしてるように感じるかしら。今回はこの『語り得ぬものについては、沈黙しなければならない』に込められた意味を追っていこうと思うわ」
ゆるふわ先生「ノコッチでも分かるようにお願いします」
ばじるちゃん「ノコッチでも分かるように?ちなみに彼は、これを読んだ師匠のラッセルに対して『大丈夫だ。君が理解できないのは分かっている』と言ってのけてるんだけれど」
ゆるふわ先生「ええー……。フレーゲを倒したラッセルでもダメだったのに、僕が理解できるの」
ばじるちゃん「大丈夫。君が理解できないのは分かっている」
ゆるふわ先生「ちょwww」
ばじるちゃん「私だって『ヴィトゲンシュタインを理解した』なんて、とてもじゃないけど言えないわよ。それでも、彼の考えに近づく努力くらいはしないと」
ゆるふわ先生「ふむ、それは確かに」
ばじるちゃん「じゃあ順を追って見ていきましょうか。彼の哲学観は前期と後期で分かれているんだけれど、まずは前期の哲学からね」
ばじるちゃん「『論理哲学論考』はこんな出だしから始まっているわ」
1.1 Die Welt ist die Gesamtheit der Tatsachen, nicht der Dinge.
(世界とは事実の総体であり、事物の総体ではない。)
ゆるふわ先生「いきなり断定から入るんだ」
ばじるちゃん「論考――『論理哲学論考』の略語ね――は最初から最後までずっとこんな調子よ。この時点で他の哲学書とは大分違った様相を呈しているわね」
ゆるふわ先生「うん、なんか異質なのは伝わってくる」
ばじるちゃん「まず、ヴィトゲンシュタインの言った『事実』なんだけれど。これを理解するには彼の【写像理論】を知る必要があるわ」
ゆるふわ先生「理論って聞くと、途端に深淵なものに感じる」
ばじるちゃん「普段から慣れ親しんでないと威圧感のある単語かも。まあそこはおいおい慣れてもらうとして。そもそも、言葉はどうやって生まれたのかについて考えてみましょうか」
ゆるふわ先生「言葉はどうやって生まれたのか」
ばじるちゃん「ノコッチが原始人だったと想定してみましょう。あ、別に想定するまでもないか」
ゆるふわ先生「失敬な。僕はこれでも一応文明人だぞ」
ばじるちゃん「原始人のノコッチはどうやって言葉を使う?」
ゆるふわ先生「うーん、パッと言われても思いつかん」
ばじるちゃん「例が悪かったかな。言葉の始まりは人間の脳の進化も勿論そうなんだけれど、声帯が進化して多様な音を出せるようになったことも原因だと言われているわ」
ゆるふわ先生「脳だけじゃないんだ。言われてみれば確かに、声帯も進化しないと、言葉なんて話せないね」
ばじるちゃん「これもノコッチにとってはコロンブスの卵かしら?そして言葉が生まれて何千年か経つうちに、狩りから農業へ移行する人類が出てくる」
ゆるふわ先生「なんか世界史の話になってきたな」
ばじるちゃん「すぐ終わるわよ。【パロール】には人間の脳と声帯の発達が欠かせなかった一方で、【エクリチュール】の発明には狩りから農業への移行が必要だったの」
ゆるふわ先生「知らない単語が2つも出てきた」
ばじるちゃん「パロールは発話される言葉。エクリチュールは文字や文章のような、書かれた言葉一般のことね。例えばこの対談は、私たちにとってみればパロールだけれど、読者からすればエクリチュールだったり」
ゆるふわ先生「おお、メッタメタな例だ」
ばじるちゃん「どちらもソシュールからバルト、デリダのような【構造主義】から【ポストモダン】にかけての思想で頻出するタームだから、押さえておくといいわ」
ゆるふわ先生「忘れてそうだけど、了解です」
ばじるちゃん「で、なぜエクリチュール……書かれた言葉が登場するにあたって、農業への移行が必要だったか」
ゆるふわ先生「それは確かに気になる。狩りの段階で文字が発明されても、別におかしくないんじゃないかと思う」
ばじるちゃん「一言で答えましょう。ずばり『余剰食糧を確保する必要があったから』よ」
ゆるふわ先生「ほむ。たくさんご飯があると文字が生まれるのか」
ばじるちゃん「その考え方は間接的であっても直接的ではないわね。エクリチュールの発明と発展には、単語を作ったり文法を考案するのに専念する人が不可欠でしょ?」
ゆるふわ先生「うん、不可欠だ」
ばじるちゃん「でも、狩りで生活していたとき、人類はずっと食糧不足に悩まされてきたの。獲物がとれなかったら、その時点でひもじい思いをすることになるからね」
ゆるふわ先生「想像してみたけど、確かに3食を狩りで済ませるのはキツそう」
ばじるちゃん「ノコッチなら2週間も経たない内に餓死するんじゃない?でも、農業へ移行したことで多くの食料を安定的に確保できるようになった」
ゆるふわ先生「のんびり暮らせるようになったわけだ」
ばじるちゃん「余剰食糧の確保は、農業以外に従事できる人の層を生む。武器を製造する職人だったり、衣類を縫う仕立て屋だったり、集団を統率するリーダーだったりね。あるいは……」
ゆるふわ先生「文字を発明する人だったりか……なるほどなぁ」
ばじるちゃん「そう。そして文字が生まれたんだけれど、最初に生まれた文字は食料の種類や在庫を表す記号だったとされているわ」
ゆるふわ先生「実用的なところから始まったと。てか、大分脱線してない?」
ばじるちゃん「脱線はしてないわ。世界史の話が思ったより長くなってしまってるだけよ」
ゆるふわ先生「それを脱線というのでは……」
ばじるちゃん「む、ノコッチのくせに。まあ必要最低限のところはさらったしこれでいいか。ここからはまた論理学に戻るから」
ゆるふわ先生「大分あっちこっち飛ぶなぁ」
ばじるちゃん「世界史から論理学に飛ぶって考えれば、確かに突拍子ないかも。でも今の言葉の発明……言葉というより言語と言った方が適切ね。言語の発明に関する話はこれから役に立つと思うわ」
ゆるふわ先生「余剰食糧が他のことに専念できる人を生んで、そのことが文字の発明に繋がったことが?」
ばじるちゃん「ことことうるさい。シチューじゃないんだから」
ゆるふわ先生「うへえ、意識してなかった」
ばじるちゃん「ちなみにそっちはオマケね。必要なのは文字が収穫物を記すために生まれた点よ。もっと言えば『そこに在るものを写すために生まれた』という点」
ゆるふわ先生「それが論理学の話に役立ってくるんだ」
ばじるちゃん「ヴィトゲンシュタインの写像理論はまさにこのことを言っているしね。ところで、私は冒頭で『ヴィトゲンシュタインは哲学的諸問題を根底から覆した』と言ったけれど」
ゆるふわ先生「うん、言った言った」
ばじるちゃん「どうやって覆したのかと言えば、それは哲学的諸問題が『人間の思考の限界を超えたところにある』ことを証明したからよ」
ゆるふわ先生「えっちょっと待って。そんなの証明できるのww 哲学なんて考えても答え出ないっていうのは聞くけど……」
ばじるちゃん「だって彼は、人間の思考の限界を規定したから」
ゆるふわ先生「グロいなー……」
ばじるちゃん「ノコッチもそれについて見ていくのよ。なんのために論理学の話したと思ってるの」
ゆるふわ先生「なんのためでしょうか」
ばじるちゃん「思考の限界を規定するため」
ゆるふわ先生「思ったより壮大だった!」
ばじるちゃん「そうね。ところで【命題関数】の話はまだしてなかったっけ」
ゆるふわ先生「してないっすね」
ばじるちゃん「そもそも【命題】がなんなのかについては?」
ゆるふわ先生「それもしてない。だって命題とか言われても分からんもん」
ばじるちゃん「そっか。最初にしておけば良かったな……」
ゆるふわ先生「気が向いたらするって言ってた気がする」
ばじるちゃん「命題関数についてはね。まあいっか。それじゃあ命題の話をしましょう。と言っても意味は簡単よ。三段論法の
①A=B
②B=C
③ゆえにA=(B=)C
ってあったじゃない?」
ゆるふわ先生「あったあった。僕が死ぬやつ」
ばじるちゃん「凄絶な覚え方ね。これの
①A=B
つまり具体的には
➊ノコッチは人間である
のような、『真偽を判定できる文』のことを命題と言うわ」
ゆるふわ先生「真偽を判定できる文……いまいちピンと来ないけど」
ばじるちゃん「例えばこの
➊ノコッチは人間である
という文は、ノコッチが本当に人間であるかどうかについて、真偽を判定することができる。だからこれは命題」
ゆるふわ先生「ふむ」
ばじるちゃん「そして、この命題における『ノコッチ』とか『人間』のことを【名】と呼ぶの」
ゆるふわ先生「①A=B
におけるAやBも名ってことになるのかな」
ばじるちゃん「まあ、それって名を記号に置き換えただけだしね」
ゆるふわ先生「把握した」
ばじるちゃん「ここで重要なのが、名は世界を構成する諸要素と対応してるってところ。例えば、
今座ってるここは”スタバのテーブル”だし、
私の飲んでるこれ
は”スタバのココア”でしょ?」
ゆるふわ先生「”スタバのテーブル”も”スタバのココア”もどっちも名ってことか。……あ、もしかして、名が世界の諸要素に対応してるってことは、世界は名で出来ているってこと?ほら、そこを走ってる”車”とか、この”建物”とか、全部名だし」
ばじるちゃん「あるいは”ユーラシア大陸”とか”太平洋”とか”雲”とか」
ゆるふわ先生「そうそう。そうやっていけば世界中のもの全部が名ってことになるじゃん」
ばじるちゃん「だから世界は名で出来ていると」
ゆるふわ先生「そういうこと!……で合ってる?」
ばじるちゃん「ふむ。ノコッチにしては慧眼ね」
ゆるふわ先生「よっしゃ、褒められた」
ばじるちゃん「でも違うわ」
ゆるふわ先生「マジか」
ばじるちゃん「確かに名は世界の構成要素よ。でも、名だけじゃ世界の在り方全てを記述するには足りないの。名は”事物”ではあっても”事実”ではありえない」
ゆるふわ先生「どういうことだ」
ばじるちゃん「ちゃんと説明するわ。『AはBである』という命題。これが名の連鎖から出来ていることは分かる?」
ゆるふわ先生「言われてみれば。名が集まって命題を構成してる」
ばじるちゃん「世界を記述するためにはこの『名の連鎖』……つまり命題が不可欠になってくるの。”テーブルにココアが乗っている”、”ノコッチが椅子に座っている”は、名だけじゃ示せないから」
ゆるふわ先生「無理なの?」
ばじるちゃん「これを示すためには
『テーブルの上に乗っているのはココアである』
って風に、命題にしないと」
ゆるふわ先生「あー、そうか。名だけじゃ無理だわ」
ばじるちゃん「惜しいと言えば惜しかったんだけれどね。まあノコッチにしてはいいところまで行ったと思うわ。こうして、命題によって世界は記述されるの」
ゆるふわ先生「ってことは、世界は命題によって成り立っていると」
ばじるちゃん「それも少し違う」
ゆるふわ先生「マジか」
ばじるちゃん「命題は真なことだけでなく、偽のことについても記述できてしまうからね。例えば
『ノコッチは天才である』
とか。言い方を変えれば、命題は世界の在り方の可能性までをも記述してしまう」
ゆるふわ先生「世界に成り立たないものも記述出来てしまうってことか」
ばじるちゃん「そう。そして、世界のあらゆる可能性を記述してしまう命題の集合のことを、ヴィトゲンシュタインは【論理空間】と呼んだ」
ゆるふわ先生「また格好いい名前が出てきた」
ばじるちゃん「論理空間は抽象的だからイメージがつきにくいし、図示もしにくいのよね。強いて言うなら、
こんな感じの半球の中に、あらゆる命題が含まれていると思ってくれればいいわ」
ゆるふわ先生「うーん、いまいちピンと来ないけど、とにかく命題が集まって論理空間を形成するわけね」
ばじるちゃん「ここでは現実の世界は、論理空間のほんの一部に過ぎないことになる。逆に言えば、あらゆる可能性のうち、実際に世界に存立しているもの、それこそが”事実”であり」
ゆるふわ先生「世界は”事実”の総体だと。なるほど」
ばじるちゃん「そして名と命題という『言語の可能性』が論理空間を作り、『世界の在り方の可能性』となる」
ゆるふわ先生「名は世界の構成要素で、命題は世界を表しているからか」
ばじるちゃん「ヴィトゲンシュタインは論考でこう言ってるわ。『言語の限界は、私の世界の限界である』」
ゆるふわ先生「『言語の限界は、私の世界の限界』……センスある言い回しだなぁ」
ばじるちゃん「それだけじゃない。私たちは普段、言語に基づいて物事を考えるでしょ?」
ゆるふわ先生「うん。こうやって話してるのも言語だしね」
ばじるちゃん「すると、言語の限界は、世界の限界であるのと同時に、『私の思考の限界』にもなる」
ゆるふわ先生「おお……」
ばじるちゃん「ヴィトゲンシュタインはこうして思考の限界を規定したってわけ」
ゆるふわ先生「すげえ。名の連鎖から生じる論理空間が、全部を規定しちゃうわけだ」
ばじるちゃん「そして彼はこう言ってのけるわ。これまでの哲学的諸問題は、この論理空間の外に位置するから思考できず、語り得ないと」
ゆるふわ先生「ふむ……え、でもさ、これまでの哲学的諸問題も言語化されてるんじゃないの。哲学的諸問題がどういうのかはともかくとして」
ばじるちゃん「哲学的諸問題っていうのは『正義とは何か』とか『徳とは何か』あるいは、『神は存在するのか』のような問題のことね」
ゆるふわ先生「ほら、やっぱり言葉になってるじゃん」
ばじるちゃん「確かに言葉にはなってる。だけど、こういった”正義”や”徳”、”神”はそもそも、名になり得ないの」
ゆるふわ先生「そうなの?普通に考えたら名になるように思える」
ばじるちゃん「最初の名の定義を思い出して。名は世界の構成要素でしかありえない。でも、これらの抽象的な【観念】は、実際には現実に存在しない」
ゆるふわ先生「おけ、まず観念ってなんですか」
ばじるちゃん「そこからか……。先に結論を言ってしまいたいんだけれど、仕方ないわね。ほら、このペンを見て」
ゆるふわ先生「見ました」
ばじるちゃん「じゃあこれを私の後ろ手に隠します」
ゆるふわ先生「隠されました」
ばじるちゃん「今のペンを思い浮かべて」
ゆるふわ先生「思い浮かべました」
ばじるちゃん「それが観念よ。定義するなら、物事に対してもつ考えのこと」
ゆるふわ先生「なんとなく分かった」
ばじるちゃん「よし、じゃあ戻るわよ。”正義”や”徳”、”神”といった観念は、現実に存在しない以上、名にはならない」
ゆるふわ先生「言語ではあっても、名ではないのか。まあ世界の構成要素では確かにないかも。直接見えないし」
ばじるちゃん「だから、これらは命題にすることは出来ず、真偽を確かめることもできない」
ゆるふわ先生「命題は名の連鎖だからか」
ばじるちゃん「そうしてこれらの観念を扱う哲学的諸問題自体が、論理空間の外側に置かれることになる」
ゆるふわ先生「世界の限界と思考の限界から弾き出されると」
ばじるちゃん「つまり、語り得ない」
ゆるふわ先生「ってことは……」
ばじるちゃん「そう。言語の可能性を超えた今、これらの語り得ぬものについては、沈黙しなければならない。彼はそう言って論考を締めくくった」
ゆるふわ先生「……いや、ほんと格好いいなヴィトゲンシュタイン。感服しました。そりゃ人気出るわ」
ばじるちゃん「ノコッチでも分かったみたいで私としては一安心ね。前期のヴィトゲンシュタインについて最後に1つだけ」
ゆるふわ先生「まだあるのか」
ばじるちゃん「こうして思考の限界を規定して、語り得ぬものが炙りだされたわけだけれど、彼はこの『語り得ぬもの』こそが重要だと考えたの」
ゆるふわ先生「言語化できないのに?」
ばじるちゃん「そう。例えば”善の意志”について考えてみましょう。これは世界の構成要素ではない。だから語り得ない」
ゆるふわ先生「思考の限界の外にあると」
ばじるちゃん「でも、老人に席を譲るとき、あるいはノコッチに色々と教えてあげるとき。私たちはそこに”善の意志”を見出すことができる」
ゆるふわ先生「……まあ確かに道徳的かもしれない」
ばじるちゃん「つまりこういうことよ。『語り得ぬもの』は、確かに言語の限界を超えている。だけど、いやだからこそ、そういったものは行動などによって示されなければならない」
ゆるふわ先生「ほー、良いこと言うなあ」
ばじるちゃん「これが論考における前期ヴィトゲンシュタインの思想よ。少し長くなっちゃった」
ゆるふわ先生「うん、確かに長い」
ばじるちゃん「まあ色々喋ったからね。厳密には語りきれてないところもたくさんあるんだけれど……」
ゆるふわ先生「大まかには分かったし別にいいやw」
ばじるちゃん「(浅はかだなー……)さて、次でこの『フレーゲからラッセル、ヴィトゲンシュタインへ』もラストね」
ゆるふわ先生「前期が終わったから、次は後期ヴィトゲンシュタイン?」
ばじるちゃん「そうね。最初にフレーゲの積み残しをやってから、後期ヴィトゲンシュタインに入っていこうと思うわ」