フレーゲからラッセル、ヴィトゲンシュタインへ【その1】
ゆるふわ先生「哲学の話なのに、いきなり20世紀からなんだ」
ばじるちゃん「そうだけど、なんか文句でもある?」
ゆるふわ先生「いや、哲学って凄い昔から続いてるイメージあるからさ。それなのに20世紀の哲学者をいきなり持ってくるの、大丈夫なのかなと思って」
ばじるちゃん「へえ、ノコッチにしては割とまともなこと言うじゃない。それ、他の学問とは違う哲学特有の仕組みを分かってて言ってる?」
ゆるふわ先生「哲学特有の仕組み?いや、そういうのは全く意識してなかったけど」
ばじるちゃん「まあそうよね。ノコッチだもんね。そうね……例えば数学とか、物理でも化学でもなんでもいいんだけど……他の学問で人の名前を覚えることなんてほとんどないでしょ?」
ゆるふわ先生「確かに」
ばじるちゃん「でも、哲学には人の名前がたくさん出てくるの」
ゆるふわ先生「倫理政経はホント、世界史かってくらい人名やらされてるよね。あーなるほど。哲学だと人の名前が重要で、ってことはつまり、『誰が何をしたのか』が重要なのか」
ばじるちゃん「そうそう。哲学は誰が何をしたかが重要で、さらに先人の思想を発展させたり根本から否定したりということが繰り返し起こってる学問なの。これが他の学問とは違う、哲学特有の仕組みね」
ゆるふわ先生「ふむ」
ばじるちゃん「で、話を戻すけれど、確かに哲学は紀元前から連綿と続いてきたわ。特にソクラテスやプラトンの思想は後世にも大きな影響を及ぼしてる。『西洋哲学は全てプラトンの脚注にすぎない』と豪語する哲学者もいたくらいだし」
ゆるふわ先生「プラトンってそんなに凄かったのww 倫理の授業でイデアがなんとか言ってた気がするけど、もう全然覚えてないなぁ」
ばじるちゃん「私の師匠をして『ノコッチ君は浅はかだなぁ』と言わしめるだけのことはあるわね。その健忘っぷりに敬意を表するわ」
ゆるふわ先生「その話はもういいから。じゃあさ、なんでプラトンから始めないの?そんなに凄かったんでしょ」
ばじるちゃん「だっていきなり古臭いのから始めるのもアレじゃない」
ゆるふわ先生「……」
ばじるちゃん「何よ。なんか文句でもある?」
ゆるふわ先生「ないけど……いや、あるわ。やっぱりある。だって今さっき『ソクラテスやプラトンの思想は後世にも大きな影響を及ぼしてる』って言ったばっかじゃん」
ばじるちゃん「確かに言ったわね」
ゆるふわ先生「哲学は誰が何をしたのかが重要で、しかもそれが後世にまで続いてることもある」
ばじるちゃん「その通り」
ゆるふわ先生「でもそこからは始めないんだ」
ばじるちゃん「そうよ。仕方ないからちゃんと理由を明確にしておくわ。今回扱うフレーゲ、ラッセル、ヴィトゲンシュタインは【論理学】という分野をより精緻化した人たちなのだけれど、これまでの西洋哲学を切断するような形で出現してるの」
ゆるふわ先生「西洋哲学を切断ってなんか格好いいな」
ばじるちゃん「デデキント切断!……なんてのはさておき。まあその理由も当然と言えば当然なんだけれどね。フレーゲやラッセルは元々数学者で、論理学に対しても数学の立場からアプローチをかけてたから。これまでの西洋哲学の流れなんてガン無視よ、ガン無視」
ゆるふわ先生「ほへー。でもそれ論理学の話だよね。哲学の話ではないような」
ばじるちゃん「ヴィトゲンシュタインが論理学を哲学に架橋するまでは、ね」
ゆるふわ先生「論理学と哲学が繋がるんだ。まあ、今のところは論理学も哲学も、それぞれなんなのか全く分かってないんだけど」
ばじるちゃん「『哲学とは何か?』はそれ自体が哲学になり得るわ。確か京大英語の過去問でそういった趣旨の問題が出てた気がする。三木清は『哲学とは何か、我々は既に知っている』と言っていたけれど」
ゆるふわ先生「まあぼんやりとは分かる気がしないでもない」
ばじるちゃん「まあ哲学については一旦置いておきましょう。論理学の方は分かりやすいんじゃないかな。数学が数に関する学問、物理学が物理に関する学問であるのと同じで、論理学も論理に関する学問ってわけ」
ゆるふわ先生「うん、それは分かる。でも、数学だと例えば1+1=2みたいなことを扱うじゃん。論理学は何を扱うの?論理と言われても余りピンとこない」
ばじるちゃん「それをこれから見ていくのよ。ほんの少しだけれどね」
ばじるちゃん「そもそも論理学が生まれたのは紀元前、アリストテレスの頃に遡るわ」
ゆるふわ先生「あ、遡っちゃうんだ」
ばじるちゃん「遡っちゃったわね」
ゆるふわ先生「……そんな悲しそうな顔しなくていいから。続けてよ」
ばじるちゃん「アリストテレスは古代ギリシャを代表する大哲学者の1人で、論理学の他にも多くの学問を生み出しているわ。倫理学とか、形而上学とか、生物学とか、後天文学なんかも。万学の祖と呼ばれる所以ね」
ゆるふわ先生「アレクサンドロス大王の家庭教師だったんだよね、確か」
ばじるちゃん「そう。プラトンとは師弟関係にあったのだけれど、師匠のイデア論を思いっきり否定したことでも知られてる。他にも後の普遍論争の引き金になったりとか、四原因説とか、中庸とか……まあこの話しちゃうといつまで経ってもフレーゲに辿り着かないから、これはまた今度ね」
ゆるふわ先生「それで、そのアリストテレスが論理学を発明したと」
ばじるちゃん「三段論法って聞いたことない?
①A=B
②B=C
③ゆえにA=(B=)C
ってやつ」
ゆるふわ先生「聞いたことあるようなないような」
ばじるちゃん「これをもう少し具体的にすると、例えば
➊ノコッチは人間である
❷人間はいつか死ぬ
❸ノコッチはいつか死ぬ
って感じね」
ゆるふわ先生「馬鹿にされてるのだけは分かった」
ばじるちゃん「論理学はこういった【A=BかつB=Cならば、A=C】みたいな論理の形式に関する学問なの。『これはこうなので、こういうことになります』みたいな喋り方を論理的って言ったりするでしょ?あれは喋り方が論理の形式に沿っているからね」
ゆるふわ先生「なんか、論理学ずっとやってれば論理的に話せるようになりそうだな……」
ばじるちゃん「そりゃあ論理学って言うくらいなんだから、やらないよりは格段にマシでしょうね。で、このアリストテレスが発明した論理学なんだけれど、どれくらいの強度をもってたと思う?」
ゆるふわ先生「強度っていうと?」
ばじるちゃん「つまり、どれだけの期間批判されなかったかってこと」
ゆるふわ先生「うーん……紀元前だし500年くらい?」
ばじるちゃん「フッ」
ゆるふわ先生「いや何も鼻で笑わなくても。じゃあ1000年くらいかな」
ばじるちゃん「ざっと20世紀よ」
ゆるふわ先生「2000年wwww なげえ……」
ばじるちゃん「ここで一気にフレーゲまでジャンプするわ。アリストテレス以来の論理学は特に大きな批判を受けることもなく、中世以降もずっとそのままの形で教えられていた。でも、近代に入ってから、数学者たちによってメスを入れられることになる」
ばじるちゃん「そもそもフレーゲがしたかったのは数学……これまでの算術体系を論理学へと還元することだったの」
ゆるふわ先生「数学を論理学に還元?なんか面倒くさそうなことするね」
ばじるちゃん「その感想が、アンタがノコッチであることを明晰かつ判明に示しているわね」
ゆるふわ先生「馬鹿にされたのは分かる」
ばじるちゃん「ご名答。フレーゲの試みの背景には19世紀末に登場した非ユークリッド幾何学があると言われているわ」
ゆるふわ先生「非ユークリッド幾何学……」
ばじるちゃん「体重が21g軽くなりそうな顔しないの。そうね、普段学校で習う幾何がユークリッド幾何学に基づくものである、ってことくらいは知ってる?」
ゆるふわ先生「勿論知りません」
ばじるちゃん「うん、つまり三角形とか円とか直線みたいな『普通の』幾何学がユークリッド幾何学ってことね。ちなみにユークリッドは巷で良く聞く『学問に王道なし』を初めに言った数学者よ。まあ彼の場合は『幾何学に王道なし』と言ったそうだけれど」
ゆるふわ先生「えっと、つまり、普段学校ではユークリッド幾何学を習うけど、そうじゃない非ユークリッド幾何学が出たのが問題と」
ばじるちゃん「そういうこと。非ユークリッド幾何について知りたい場合は下記を参照してね。信憑性の欠片もないソースだけど、書かれていることは分かりやすいはずよ。
dic.nicovideo.jp
まとめると、この記事に書かれてるように、これまでの幾何学の態度……『俺がルールブックだ』って態度が露呈したことで、数学そのものの信頼性が揺らいでしまったってわけ」
ゆるふわ先生「数学って厳密な学問だと思ってたけど、信頼性が揺らぐとかあるんだな……」
ばじるちゃん「そうね。だからこそフレーゲは、数学の定理を論理学的手法を用いて導出しようと考えた。厳格で厳粛で厳密な体系を、もう一度作り上げるためにね」
ゆるふわ先生「その結果アリストテレスの論理学がdisられたと」
ばじるちゃん「数学を論理学的手法を用いて導出するためには、当然論理学を調べなおす必要があるわ。その過程で、フレーゲはアリストテレス以来の論理学……【伝統論理学】に問題があることを発見したの」
ゆるふわ先生「どんな問題だったの?」
ばじるちゃん「伝統論理学では量について扱うことが出来なかったのよ。例えば、誰かがノコッチをしばくとしましょう」
ゆるふわ先生「そういう例えよくないと思う」
ばじるちゃん「このとき、『誰かがノコッチをシバいている』は『ノコッチが誰かにシバかれる』と置き換えても問題ないわ」
ゆるふわ先生「大有りだと思う」
ばじるちゃん「一方で、誰もが誰かをシバいているとする」
ゆるふわ先生「グロスギル」
ばじるちゃん「すると、これを置き換えると『誰かが誰もからシバかれる』ということになるんだけれど……これって変じゃない?」
ゆるふわ先生「……まあ確かに、『誰もが誰かをシバいている』だと1vs1って感じだけど、『誰かが誰もからシバかれる』だと1人がよってたかってボコボコにされてるね」
ばじるちゃん「そう、これが量に関する問題。そしてこの問題を、伝統論理学では解消することが出来なかった。さっきの三段論法
①A=B
②B=C
③ゆえにA=(B=)C
を思い出して。これは全部、前後を置き換えても、つまり①A=Bを①B=Aに置き換えても意味が同じになっていたでしょう?」
ゆるふわ先生「その①-②-③の形式では、前と後ろを逆にしても意味が変わらないことが前提だった。だからこそ、『誰かがノコッチをシバく』は扱えても、『誰もが誰かをシバいている』については扱えなかった?」
ばじるちゃん「『誰もが誰かをシバいている』だと意味が変わってしまうからね。これが伝統論理学の孕んでいた問題。フレーゲはこれを乗り越えて【量化理論】を生み出したの」
ゆるふわ先生「うーん、そう言われたら確かに、なるほどって感じがしないでもない」
ばじるちゃん「言われてみれば確かにその通りなんだけれど、言われるまで気付かない……【コロンブスの卵】かしら?フレーゲはさらに、伝統論理学の問題を克服したのに加えて、【命題関数】や【意味と意義の区別】についても言及していくわ」
ゆるふわ先生「フレーゲ頑張ってるなぁ」
ばじるちゃん「まあ残り2つについては、また気が向いたらね。要は、フレーゲは数学を論理学的手法を用いて導出する過程で、論理学を改良したってことが伝わればいいわけだし。ノコッチだし」
ゆるふわ先生「ノコッチだし」
ばじるちゃん「で、このフレーゲの試みなんだけれど、結局頓挫するの。それもたった1通の手紙によって」
ゆるふわ先生「ダメだったのかよww 折角頑張ってたのに……」
ばじるちゃん「フレーゲはこれについて書いた本を出版しようとする直前だっただけに、凄いショックを受けたそうよ」
ゆるふわ先生「僕がもしそんなことされたら手紙送ってきた奴のこと絶対ボコボコにするだろうなぁ」
ばじるちゃん「その手紙を送ってきた奴がラッセルなんだけれど……そうね、次はフレーゲの構想のどこに問題があったのかを見ていきましょう。俗に【ラッセルのパラドックス】と言われているところね」